大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大分地方裁判所 昭和34年(行)7号 判決

原告 末田種彦

被告 別府公共職業安定所長

訴訟代理人 小林定人 外六名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は「被告が原告に対し昭和三十三年三月三十一日になした昭和三十二年五月二十日から同年十月六日までに支給した失業保険金百四十日分金八万二千六百円の返還を命ずる旨の処分を取消す」旨の判決を求め、被告指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

二、原告訴訟代理人は、請求の原因として、

(一)  原告は昭和三十二年三月二十八日別府市浜脇別府渉外労務管理事務所を離職し、同年四月三日別府公共職業安定所に出頭し、求職の申し込みをして失業の認定を受け、同月十日から同年十月六日まで百八十日分の失業保険金の支給を受け終つた。

(二)  しかるに被告は、昭和三十三年三月三十一日原告に対し、原告が同三十二年五月二十日以降別府市中浜通九丁目ダイヤクリーニング株式会社に就職しながらその旨を申告しなかつたとして、右同日より同年十月六日まで百四十日分の支給金八万二千六百円の返還を命ずる旨の処分をなした。原告は右処分を不服として大分県失業保険審査官に対し審査の請求をしたが棄却され、さらに労働保険審査会に対し再審査を請求したところ、同三十四年九月十日これも棄却され、同月三十日これが裁決書の送達をうけた。

(三)  しかしながら、右失業保険金の返還を命ずる処分には次のような違法があるから取消さるべきである。

(い)  原告は前記受給期間内に右ダイヤクリーニング株式会社に就職したことはない。もつとも、原告の妻末田寿子が右会社の取締役である関係上、時折その事務上の仕事を手伝つたことはあるけれども、それ以上の関与はしておらず、同会社より給料又は報酬をうける約束をしたこともなければ、それを受領したこともない。このことは、同三十二年八月五日頃当時の被告別府公共職業安定所長であつた小原由岐雄が同所員佐藤堅一をして右の事情を調査させ、その結果同所長は同月十一日原告に対し右の関与は就職に該当しない旨を通告した事実をもつて十分裏附けられる。

また、原告が昭和三十二年十一月二十五日に右会社の代表取締役に就任し、同日以降その経営に従事した事実はあるが、これは他に就職できなかつたため、やむなく同会社に就職するに至つたものである。

(ろ)  右主張のとおり、被告別府公共職業安定所長は、昭和三十二年八月十一日原告に対し、原告のダイヤクリーニング株式会社に対する関与は就職に該当しない旨を通知した。この通告は行政行為であつて、その後これを取消す処分をうけたことはなく、また、この行政行為に基く結果として給付された失業保険金について、その後他の行政行為によつて右行為の結果を遡及的に取消して、その返還を命ずることはできない。

(は)  また、原告の前記会社に対する関与が就職に該当するとしても、右主張のとおり、原告は昭和三十二年八月十一日被告別府公共職業安定所長より右関与は就職に該当しない旨の通知をうけ、就職に該当しないことを信じていたのであるから、すくなくとも右同日以降は被告主張のような届出の義務があることを知りながら故意にその届出をしなかつたというには当らない。

と述べた。

三、被告指定代理人は、答弁及び主張として、

(一)  請求の原因(一)及び(二)の事実は認めるが、同(三)の事実はすべて争う。

(二)  被告は原告に対し昭和三十二年四月十日より同年十月六日まで百八十日分の失業保険金を支給したのであるが、後にいたり、原告が右支給期間内の同年五月二十日以降ダイヤクリーニング株式会社に就職していながら故意にその届出をなさず、不正にその間の失業保険金の支給を受けたことが判明したので、失業保険法第二十三条の二に則り同三十三年三月三十一日原告に対し同三十二年五月二十日より同年十月六日までの失業保険金八万二千六百円の返還を命ずる旨の処分をなしたもので、この処分に何ら違法の廉はない。

(い)  被告は、原告と右会社の次のような関係をもつて、委任又は準委任もしくは雇傭の法律関係があり現実に報酬を受けていなくとも、失業保険法第十七条の四第二項にいう就職に該当すると認定したものである。すなわち、

(イ) 原告は、原告と同じように離職した訴外加徳益二と相諮り、訴外久下勇が個人で経営していたダイヤクリーニング商会を会社組織に改めて、洗濯業務とそれに附帯する一切の業務を目的とするダイヤクリーニング株式会社の設立を企て、原告及び右加徳益二は各自の所持金(駐留軍労務者退職金等)を出資し、資本金二十万円、株主は右久下勇(百株)、久下ツルヨ(九十四株)、右加徳の妻加徳千賀子(百株)、原告の妻末田寿子(九十九株)、寿子の叔父豊田実(二株)、豊田富江(二株)、永井光雄(一株)、代表取締役豊田実、取締役久下勇、加徳千賀子、末田寿子、監査役永井光雄なる構成をもつて同三十二年五月十七日設立を終え、同月二十日営業を開始した。原告が右加徳とともに、ことさら自己の妻女を右会社の株主及び役員となし、自らその地位に就かなかつたのは、失業保険金を受給中であつたから、受給資格を喪失しないように表面を糊塗したものである。

(ロ) 原告は、右会社の営業を開始した同三十二年五月二十日以降殆んど毎日同会社に出社し、午前八時頃から午後五時頃まで在社した。そして、取締役会には毎回出席して経営方針の決定に参画し、入金と水上高の表などを作成して経営分析を行い、注文品の単価、注文品に事故があつたときの賠償方法の決定、注文品の受理発送等の業務管理並びに従業員の採用、解雇、賃金の決定等の労務管理を行つた。

そこで、従業員も原告を経営者もしくは支配人の立場にあるものと目しており、これを要するに、原告は右会社の経営者としての労務に常時従事していたといつて妨げない。

(ハ) そして、原告は失業保険金の受給期間経過直後の同三十二年十一月二十五日右会社の代表取締役に就任しているが、右会社の経営に参加する態様は従前と何ら変るところがなかつた。

(ろ)  従つてかりに、原告と右会社との間に委任等の法律関係が存在しなかつたとしても、原告は右会社の設立及び経営に関与したことにより当然同会社より報酬を得べかりし地位にあつたのであり、ただそれが原告の妻寿子の名義をもつて仮装されていたものに過ぎず、右のようにことさら法律関係を回避しても社会通念上営利企業に継続して従事し報酬その他労務の対価を得べかりし地位に就いたときは、失業保険法第三条にいう失業には当らず、同法第十七条の四第二項にいう就職に該当すること明らかである。

(は)  原告の被告別府公共職業安定所長が昭和三十二年八月十一日原告に対し原告の前記会社に対する関与は就職に該当しない旨を通知した旨の主張は否認する。

と述べた。(証拠省略)

理由

一、原告が昭和三十二年三月二十八日別府市浜脇別府渉外労務管理事務所を離職失業し、同年四月十日から同年十月六日まで百八十日分の失業保険金の支給を受け、同三十三年三月三十一日被告より就職の事実を陰蔽し失業保険金を受給したとの理由をもつて同三十二年五月二十日より同年十月六日まで百四十日分の支給金八万二千六百円の返還を命ずる処分を受けたこと、及び原告主張のように大分県失業保険審査官より審査の請求を棄却された後、さらに労働保険審査会より再審査の請求棄却をうけ、原告主張の日に右裁決書が送達されたことは当事者間に争いがない。

二、失業保険法にいわゆる失業とは、同法第三条に規定するように、労働の意思及び能力を有するにもかかわらず、職業に就くことができない状態にあることをいうのであつて、ここに職業に就くとは自ら営業を営むことは勿論、他人に雇用又は使用される場合のみならず、株式会社の取締役その他名目のいかんによらず実質上会社と委任関係に立つ場合も含むもので、その勤務が常勤たると非常勤たるとを問わず、労務等の対価として報酬等の経済的利益の取得を期待しうる地位にあれば現実にその支払をうけることを条件としないと解すべきである。成立に争いのない乙第一号証、同第三及び第四号証、同第七ないし第十号証の各一、二、同第十一ないし第十七号証、証人二宮等の証言により成立を認める乙第五及び第六号証の各一、二、証人二宮等、同高橋正人の各証言、同末田寿子、同永井光雄の各証言の一部並びに原告本人尋問の結果の一部を綜合すると、原告は訴外加徳益二、同久下勇、同豊田実、同永井光雄と協力して、右久下が他と共同して経営していたダイヤクリーニング商会の営業を引き継ぎ、ダイヤクリーニング株式会社を設立し、代表取締役豊田実、取締役久下勇、加徳千賀子、末田寿子、監査役永井光雄、発行する株式の総数千六百株、額面株式の一株の金額金五百円、発行済株式総数四百株、資本の額二十万円として昭和三十二年五月十八日設立登記をすませたこと、同会社の主な株主は原告の妻寿子、加徳の妻千賀子、久下勇であり、原告及び加徳益二は名義上株主となつてはいないが資本金二十万円については原告及び加徳益二の両名において久下勇と共に出資してこれに充てたものであり原告及び加徳益二、久下勇を除外したならば同会社は成り立ちえない実情にあつたこと、また豊田実は原告の依頼によつてその地位に就いたにすぎず、同会社の経営について殆んど掌理することがなく、原告及び加徳益二において同月二十日右会社の営業を開始した後殆んど毎日出社し、経営方針の決定に参画するのみならず、加徳益二において経理事務を、原告において注文品の受理発送、注文品の事故があつたときの賠償方法の決定等の業務管理並びに従業員の採用、解雇等の労務管理を実施し、常時実質的に会社経営者の立場にあつたこと、そして原告は失業保険金の受給期間経過後の同三十二年十一月二十五日右会社の代表取締役に就任したが、右会社に関与する態様について従前とさして変化がなかつたこと、また原告は同会社から報酬その他労務の対価を得ていないが、これは同会社の経営状態が悪く営業資金及び人件費等要経費を控除するときは殆んど純益がなく、ために役員の報酬を決定することすら不能であつたことに基因するにすぎないこと及び原告は失業保険金の給付を打切られることを痛く恐れていたことの各事実を認めることができ、右認定に反する乙第七、第八号証の各一、二の記載部分及び証人末田寿子、同永井光雄の各証言部分、原告本人の供述部分はにわかに措信し難い。もつとも、証人末田寿子、同永井光雄、原告本人尋問の結果によれば、原告は受給期間中就職のため二回に亘り自衛隊や民間会社を受験していることが認められるけれども、このことをもつて直ちに右認定を左右するに足りず、また原告本人尋問の結果中昭和三十二年八月十一日当時の被告別府公共職業安定所長小原由岐雄が原告に対し原告の右会社に対する関与は就職に該当しない旨を通知した旨の供述は、証人小原由岐雄の証言と対比するとこれをにわかに措信できず、その他右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、原告は自ら会社を設立して経営に参加したものと認めるのが相当であり、右会社との間に委任の関係があつたと推認すべく、会社経営が好転したときは直接もしくは妻寿子の名義をもつて間接に労務等の対価として会社純益の分配等経済的利益を取得しうる地位にあつたものであるから、失業保険法にいわゆる失業の状態にはなかつたものといわなければならない。原告が右の実情にあつたのに拘らず表面上会社の株主及び役員に就任しなかつたのは失業保険金の受給を確保するためことさら会社とは無関係であることを仮装する意図に出たものと認めるに十分である。

三、原告は、被告別府公共職業安定所長は昭和三十二年八月十一日原告に対し、原告は右会社に対し就職していない旨通知する行政行為をなしたから、これと相反する本件の返還命令は違法であると主張するが、前示認定のとおり右通知の事実を認めるに足りないし、公共職業安定所長が失業と認定して失業保険金を支給した後、調査により失業の認定が受給者の詐欺その他の不正な行為によつて誤りであつたことが判明した場合、その支給を受けた者に対して支給した失業保険金の全部又は一部の返還をすべきことを命ずることができることは失業保険法第二十三条の二の規定により明らかであるから原告の主張は失当である。また右通知行為が認められない以上、右同日以降原告は失業保険金受給について不正の意思なしとする主張も容認することはできない。

四、以上認定したところによれば、原告は失業保険受給資格を喪失した同三十二年五月二十日以降、就職の事実を公共職業安定所に届出をする義務があることを知りながら、故意に事実を陰蔽してその届出をせず同年十月六日までの間不正に失業保険金の支給を受けたものであつて、その期間百四十日分の支給金額八万二千六百円の返還を命ずる被告の処分には違法の廉は存しない。

五、右の次第により、原告の請求は理由がないから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 島信行 藤原昇治 早瀬正剛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例